カリフォルニアの青い空
(パソコン通信People「福祉工作クラブ」に連載した記事を基にWeb作りました)
カリフォルニアの青い空(第13幕)
朝寝坊をして、かなり高くなった太陽の光が眩しい。今朝も相変わらず青い空が広がっていた。今日は日曜日。通りの人気も疎らだ。さて、昨日仕入れておいた軽い朝食を取りながら今日のスケジュールを調整する。まず、昨日予約を入れておいたハーツレンタカーの営業所へ車を引き取りに行かなくてはならない。しかし、所番地だけが判るのみ。ホテルのフロントで「歩いて行けるか?」と訊ねると、笑いながら「バスで行きなさい。とても歩く距離ではない」とフロントの女性。
所番地が「エル・カミノ・リアル」通り沿い。しかも、サンノゼ方面へ進んだところらしい。そのため、カルトレインのパロアルト駅のバス・ターミナルへ向かう。バスの運転手に所番地を訊ねるが「所番地」だけでは???そして具体的に「ハーツレンタカーのパロアルト営業所」と言ったら、すぐ判った。やはり通り沿いの看板などは運転手にも映像情報として頭に残るようだ。そして、その聞いた運転手のバスがそこへ行くと言うことでそのまま乗車。
本当に歩けない距離だ。バスでもかなりの時間走って運転手が「ここだ!」と教えてくれた。交差点の角に「ハーツ」の黄色い看板。これは誰でも判るよね!そして、事務所の中へ。さえら姉が手続きをしている間、パンフレットを物色。車いすマークの黄色いパンフレットを見つけ、中を見るとHand Controls、つまり手動装置付きレンタカーや、営業所の駐車場はアクセシブルにできていますよ!とか、予約にはTDD(Tele-phone Device for Deaf)が使えますよ!などが書いてある。借りた車は「マーキュリー」の小型車。ほとんど日本車だね〜。さて、まずは運転手(さえら姉)が右側通行に慣れるために大きな通りへ。アメリカでの生活経験があるさえら姉は感を取り戻し、エル・カミノ・リアルを東へ。途中、脇道へそれたのが幸いして、地元の人が買い物をする八百屋兼スーパーのような処を見つける。
表には西瓜や苺、南瓜、玉葱、芋、マンゴー、バナナなどが箱ごと置いてあり、店内に入ると牛乳からオレンジジュース、パン、ナン、ジャム、チーズ、ケーキ、各種冷凍食品、菓子などがドッサリ。もちろん、見たこともない果物とか野菜もドッサリ。朝食用にいろいろと仕入れた。そして、昼食へ。エル・ポヨロコというファーストフードへ。日本でも見たことがある!と思いながら店内に入る。セットを注文し、ドリンク用のカップ(特大!)を受取り、チェリーコークを探す。しかし、普通のコークとオレンジジュースの類ばかり。珍しいものではドクターペッパーのようなもの。メキシカンのホットな昼食を頬張りながら、道路に目をやる。行き交う車はトヨタやホンダなどの日本車セダン型が多く、RVではランクルやダットラ、パジェロから私も乗ってるチェロキーが見受けられる。クーラーの効いた店内から目映い屋外の道路を眺めていると、左右反対なことを除けば、ここが「夏の湘南海岸」なのかと錯覚しそうだ。サザンの曲でも流れてきそう.....
暑い駐車場からエル・カミノ・リアル通りを南東へ。これから明日から始まるWWWカンファレンス会場(サンタクララ・コンベンションセンター)へ向い、参加登録をする。ハーツで貰った地図を頼りに、サンタクララへ。通りの左右には様々な店が。途中、ハングル文字が数点連なっている場所もあった。
グレート・アメリカ(ディズニーランドのようなパラマウント系列のテーマパーク)の隣にコンベンションセンターはあった。広い!駐車場もでっかい!でも、周辺にはホテル以外何もないぞ〜!WWWカンファレンスの参加者の多くはここに泊まるに違いないがこんな処に泊まったら悲惨だよ〜ん。(泊まっていた方、ごめんなさい!)さて、まずはアクセス・ルームにいるはずのスタンフォード大学CSLI・アルキメデスプロジェクトのニール・スコット氏を探すが見つからない。さて、certificate(WebAccess97に参加するという証明書)を発行してもらう必要があり、彼のサインがいるのです。とりあえず、用紙を見つけそれを持って部屋の外へ出ると....
ニールは居た!挨拶とスタンフォードでのお礼を言い、サインを貰う。そして、ずらっと並んだ登録窓口へ行き、ちょっと手間取ったが参加証やら論文集、マグカップ、ポスター、Tシャツ等を受け取る。会場内では開会の準備と会場内にひきつめられたネットワークを膨大な数の端末へ繋ぐ作業をしていた。某リンゴ印のコンピュータ・メーカーから寄付を受けた端末がロビーや休憩スペース、情報ルームに唸るほど設置されている。途中、元WIDにいたデボラ・カプランさんと会う。
貰うものを貰って、会場を後にする。パロアルトまで戻り、サンフランシスコ空港に到着しそこからのバスを降り立った「パロアルト・ショッピングセンター」へ。まずは土産物として、スタンフォード大学売店(University Shop)へ。名門私学だから「生協」ではなくショップ!しかも、かなりのブランド指向である。Tシャツとか購入。それからさえら姉の目指すご婦人洋品エリアへ。
私は日用品とかキッチン売り場へ。ここが「文化」の違いを感じる売り場ではないだろうか?私はそう思う〜。皆さんは?
閉店間際まで居座り、ホテルへ向けて帰る。さて、本日のディナーは....ホテルに荷物を置き、ユニバーシティ通りを北へ歩いて行くとタイ料理店があった。私には大変懐かしい文字。読めるわけではない。形(デザイン)がユニークだし、自分には美しく見える。一昨年タイへ行ってトムヤンクンやタイカレーを食べてきた。また、あの独特な香辛料が味わえる!と、店内へ。入ったときにはそれほどでもなかったが、しばらくすると店内で空きを待つ列ができた。数種類のカレーとビーフンのサラダ、シンハービールなどを注文する。懐かしさに感涙する。食べ物で当時の記憶がよみがえる。「暑かった。でも、辛かったな〜」そして、タイの記憶と共に週末最後の夜は更けて行くのだった。(週末最後の夜が更けてゆき、第13幕が下りるのであった)
カリフォルニアの青い空(第14幕)
プレ・カンファレンスに参加するため、朝早いさえら姉を見送ってから、テレビを見る・新聞を読む(見る?)・ラジオを聞く・などの時間調整をする。さえら姉が一人で無事に会場につけるのかな〜?と他人の心配をしながら、ついでに自分の心配を(^_-)
今日は再びスタンフォード大学へ向かうのですが、ちょっとリキ入れて徒歩で向かうことにしました。歩かないと本当の大きさが判らないから〜なんて格好つけてね。それから降り掛かる不幸も知らずにウキウキとホテルを後にするのでした。地図のコピーとデジカム片手に勝手知ったるカルトレインの線路を潜って、エル・カミノ・リアル通りを渡ってやってきましたスタンフォード大学の看板!巨大な木(何の木かは不明です。日本みたいに名前が書いてないのだ。ご存じの方は御一報を!)が辺りを埋め尽くしている。そのため日光も遮断され、心地よい肌寒さを感じる。道路沿いにはシュロだか、ヤシだかの木がずっと植えられている。
スタンフォード大学はカリフォルニア州知事、後に連邦上院議員になったLeland Stanford氏が若くして病死した息子のために設立した財団によって約100年前にできた大学。同氏が農場を寄付したこともありかなり広く、教室などの建物も南欧風のモダンなイメージ。行けども行けどもあまり風景は変わらない。たまに自転車に乗った学生らしき人影が前方の十字路を横切る。人の気配を感じたリスが目の前を通りすぎて行くこと以外、変わらない風景。デジカムの撮影も途中で止めた。
ようやく、駐車エリアなのか多くの車が止まっている所まで来た。前方には門のような建物(Littlefield
Center)が見えた。その向こうには目指すフーバータワー(Hoover Tower)が見える。メモリアルホールを通過して、フーバータワーへ。テッペンまで行けると言うことを聞いいたので入口へ。受付があり、学生アルバイト?らしき女の子がにっこり微笑んで「2$」だって!さすが超・有名・名門・私立大学!、プロ・ゴルファーの森 虎雄(タイガー・ウッズだろ!)の出身大学〜(お金がいるのよね〜)
学生アルバイトのガイドがついて、エレベータへ。受付の女の子ではなく男子学生にバトンタッチだって〜。しかも、ガイドのくせに「どこから来た?」「何日間、滞在するの?」「スタンフォードはどう?」などと質問をしてくる。こちらは聞き漏らしてはなるまいと必死でリスニングしているのにね〜。あはは。ガイドなのだから質問を受けろよな〜と思い「このタワーは何メートル?」と聞いたら「240フィート」だって〜。メートルで答えろ〜
最上階には鐘がいくつも架かっている。鳴り出したらうるさいだろうな〜。さて、外の景色は....うわ〜、としか言い様がない広さ。建物は全て低く、屋根は煉瓦色、壁はベージュっぽく、遠方には緑が映える山が見える。360度見渡せる絶景。そして、空は紺碧!フーバータワー(Hoover Tower)は第31代アメリカ大統領Herbert C.Hooverが設立したフーバー研究所のメインの建物。さて、感動覚めやらぬうちに下りてきてしまった。残念だけれど、これからの予定もあるのだから、と言い聞かせてCSLIの建物であるベンチュラホールを学内の地図で調べようとするが.....地図は日に焼け、ほとんど見えない.....まあ、勘を頼りに歩き出す。かなり歩いたところで風景が変わった。建物がほとんどないところに出てしまった。前方には堤防らしきものが。アリャリャ。まあ、堤防を登って池の周りを見渡して、ドライブマップのコピーを見ると、そこは大学の端〜〜!に近い。まあ、人生そんなもの。
ウインドサーフィンでもするのか?学生が長いものを運んできた。「ハ〜イ!」「ハ〜イ! ア〜ユ〜、サ〜ファ〜?」「????」発音が悪かったのか、サ〜ファ〜って言わないのか?通じなかった。ま、気を取り直して「グッドラック! バイ」さて池に来て、大体の位置が判ったので、今度は道路沿いに歩いて行く。あああ、見覚えのある建物!CSLIの標識!結局2時間弱かかって目的のCSLIに到着。勝手知ったる建物(1度しか来てないのに図々しいね〜)だからどんどんと入って行く。(CSLIに到着して、第14幕が下りるのであった)
カリフォルニアの青い空(第15幕)
CSLIのあるベンチュラホールへ到着し、先ずは合田さんの部屋へ。勝手知ったる自宅のように中へ入って行く。あれ?だれもいないな〜。と、合田さんを探しながらウロウロ。ではJBの部屋へ。居た居た。挨拶して「今日はデジカムを持ってきたので撮影させてね〜!」って言って撮りまくる。ヘッドマスターによりマウスカーソルを移動させ、「クリッ!」とか「ダボ・クリッ!」としゃべると音声認識によってクリック操作を実行する。第4幕で紹介したように軽々とネットサーフィンをしていた。我がホームページにも飛んでいってもらったが日本語フォントがないために見るもむざんな姿を呈していたが....もちろん、URLを指定するにも音声によって「ヘンリー・トウキョ・トウキョ・パパ.....(http..)」と入力していく。
そうこうしている間に合田さん登場!先日、デモを見られなかったデバイスを見せてもらうことにした。これは、視覚障害者であってもウィンドウ環境での作業を可能にするデバイス。操作しているのはもちろん全盲の女性。「今、○○というウインドウにマウス・カーソルがいるでしょう。そのキャンセルボタンを押してみますね」と、あたかも画面が見えるのではないか?と感じてしまうほど完璧にウィンドウを操っている。そうこうしている間に、合田さんは次の来客のために退出された。あああ、英語が.....
このデバイスにはマウスカーソルを移動させるために必要な縦横(XY)方向へ移動するレバーと、そのレバーに反力が架かるような工夫が施されている。そのため、ウィンドウやボタン、アイコンにカーソルが触れたりした時、はじかれるような感覚が生じる。それを越えた力を架けるとウィンドウやボタンの内側に侵入できるが、同様に外へ出るにはそれなりの力を掛けないと出られない。どこに居るのか?どのボタンなのか?は音声合成装置によりイヤホンに出力されている。それなりに訓練すればウィンドウシステムのインストラクターにもなれるかも知れない。
視線による文字選択(アイゲーズ・コントロール)については先日説明してくれたグレッグが更に詳しく説明してくれ、TASについても可能な限り説明してくれた。
さて、CPの女性が一所懸命コンピュータに向かって喋っている。時折、ヘッドスティックでキーボードへアクセスする以外は、原稿を見ながらヘッドセットのマイクに向かって喋っている。日本ではCPの方々とお話する機会が多い私ですが....、英語すらまともに解らないのに無謀にも彼女に挨拶をしてインタビューを試みたのでした。「利用出来るまでに、どれほどの期間必要でしたか?」「2年!」だそうです。やはりコンピュータと言えども機械なので機械に解るような「しゃべり方」が必要なのですね〜。
例え英語であったとしても、音声認識だけで文字入力を行なうためには誤入力も多い。緊張が高い時、つまり、見ず知らずの東洋人がじっと見つめている時などは誤認識が多くなる。それを訂正する時にも音声認識を使うとなると、何を訂正しているのか解らなくなってしまうこともあるのよね〜。そのため、音声以外の訂正手段を持っている。彼女はヘッドスティックが使えるため、キーボード操作により訂正を行なっている。しかし、頻繁に行なう操作については首への負担を軽減するためのフットスイッチを併用している。実際には下と右方向へのカーソル移動キーが左右のフットスイッチに割り当てられている。
彼女は研究のボランティアとして参加している。私がこの部屋に滞在していた3時間ほどの間、彼女は黙々とニューズペーパーを入力していた。
さて、合田さんが再度登場。昼食の時間を大幅に過ぎていたが、彼と学生食堂へ。さすがにアメリカの名門私立大学!国際色豊かな内容で、チャイニーズからメキシカン、フレンチからジャパニーズまで。どんなものか興味もあり、「YAKITORI BENTO」を注文。寿司メシの上に醤油ベースのたれによるチキンが乗っている。しかし、寿司メシと醤油は合わないよね〜〜〜〜。酢もけっこうきつい。
それからキャンパスの売店に行き、土産になりそうなものを物色。ブックセンターはデカイ!ソフトも売っているし、雑誌も豊富だ。しかし、いたる所で日本語が聞こえるのだ。日本人は多いのね〜。一通り、キャンパスを見て回って、キャンパスバスに乗り、パロアルトの駅へ向かう。合田さんとは夕方、さえら姉との夕食のために再度合う約束をして別れる。そして、私はホテルへと向かい、朝のハイキングの疲れを取るため、しばらくベッドへ。あっと言う間に眠ってしまい、「今から帰るよ!」という姉様からのイブニングコールに目を覚まされる。(姉様からのイブニングコールで、第15幕が下りるのであった)
カリフォルニアの青い空(第16幕)
さえら姉からの電話では、もうすぐプレ・カンファレンスが終わるので30分程度で帰れるよ〜という事であった。そして合田さんにその旨連絡し、適当な時間に食事に行きましょうという事を伝え、姉様を待つ。
姉様、無事にホテル着。しかも、若い燕?ではなく、若い日本人を連れてきた。東北大学の○林さん。彼も、今回のWebAccess97に参加する日本人メンバーの一人で、福祉分野におけるインターネット情報提供のパイオニアでもある。私は以前から知っていたので「お久しぶり〜!」という挨拶を済ませ、合田さんを待つ。それから間もなく合田さんも到着し、ダウンタウンへ!
さて、今夜は何を食べようか〜?とユニバーシティ・アベニューへ出てみる。昨夜、気になった店が1つ。外見は洒落た美容院的な作りで、どんな店なのか皆目見当が付かない。合田さんから「ラーメン屋」であることを知るが、彼も広告で知っているだけで、入ったことがないという。では、入ってみようと言うことになる。ベトナム系?のラーメン・ショップ。適当に摘もうと言うことで注文し、ビールもいわゆる「地ビール」。結構フルーティで色は濃い。入った時には空いていた店内も時間が立つに連れて混んできて、帰るときには外に行列ができていた。相変わらずラッキーな東洋人グループであった。その後さえら姉の部屋で2次会が催され、明日からWebAccess'97が開催されるのも忘れ飲み続けるのであった。
私は唯一、サンタクララまで帰らねばならない○林さんをカルトレインの駅まで送り、電車に乗るのを見届けて再度2次会に合流した。そしてしばらく時間が経過し、合田さんと明朝迎えに行く約束をし、お開きとなった。さて、明日から本番だ〜!
<一夜が明けても、相変わらずの青い空...>
相も変わらず、チープだがデリシャスな朝食を取り、さえら姉とホテルを出る。まずは合田さんの自宅まで出迎えに行く。地図を見ながら難なく到着。それからフリーウェイへ出て、4車線の最内周(朝の通勤時間中は2人以上乗車している車だけが走行できる)を軽快にサンノゼ方面へひた走る。30分でグレートアメリカ・パークウェイへ降り、サンタクララコンベンションセンターへ。問題無く駐車場に入り、日差しが眩しい屋外から、涼しい会場内へ。
オープニングセレモニーの会場に入ろうとしたのは良いけれど、合田さんのレジストレーションが済んでいないため、入室できずNeilを探す。Neilが見つかり、時間はかかったが無事にセレモニー会場の最前列へ。盲導犬もいる。手話通訳者も目の前。相撲で言う「砂かぶり」だよね。6th International WWW conferenceというインターネットの大きな国際会議。会場は広く、参加している人も様々な国からコンピュータやネットワーク関連、国家機関など。我々のようにWebAccess97だけの参加者はごく少数だろう。
Ms.Mae Jemisonは元女性宇宙飛行士。Mr.Thomas KalilはホワイトハウスNational Economic Councilのsenior director。2人のキーノートの主題は「ウェブでの平等なアクセス!」。WebAccessのキーノートと間違えてしまうような内容だ。日本でこのような国際会議を持ったとしても、キーノートスピーチでアクセシビリティを語れる人はいないのではないか?と悲しくなってしまうほど、素晴らしかった。もちろん、内容の大半は私には意味不明の英語の羅列ではあったのだが.....
WebAccess'97会議もキーノートの次から始まった。National PolicyPerspectives on Universal Design Panelとして、WIDのMs.Betsy Bayhaが司会をした。その発表が終了した時点で、ベッツィに話しをしに行った。このアメリカ訪問に先立ってメールを送った人の一人だったから。しかも、いろいろな情報、例えばCforATへ行くように進めてくれたのは彼女であった。また、WIDへ行きたいと言っておきながら実際にはメールが間に合わず、訪問できなかった事もあり、一言謝っておきたかった。たどたどしい英語でも、笑顔で応対してくれた(^o^)。
昼食はこれまた途轍もなく広い会場に8〜10名程度座れる丸テーブルが100近く(それ以上か?)あり、バイキング形式で各自が必要な分だけ盛り付けるもの。メキシカンがメインで飲物も500ccのペットボトルが一人分だったりするスケールのデカサには参った。また、昼食タイムは1時間あり、1時間ずっと座っていても文句は言われないほど、ゆとりもあった。日本では5分で食べないと、後から来た人達の視線がとっても痛かったりする。
午後1番はGlobal Storytelling: Power Source for CreativeDesign of the
GII。Storytellingというもの自身、初めて耳にする言葉であり良く解らなかった。しかし、教育現場でのインターネット活用として試行され、それぞれの成果もあるようだった。これを読んでいる読者の中でStorytellingを説明してくださる人が居ると良いのですが...
次はBring the Web to the Disabled: State and Local Government Perspective。サンノゼ市の情報化についての取り組みなどがあり、アメリカでは国をあげてインターネットのインフラを進めている事が良く解り事例でもあった。
これら6th International WWW ConferenceとWebAccess'97の内容についてはインターネットアスキー6月号、月刊イントラネット7月号を参照してください。詳しく紹介されていますので、ここでは内容よりもその周辺について書いて行きたいと思います。
(初日セッション終了と同時に、第16幕が下りるのであった)
カリフォルニアの青い空(第17幕)
セッションは終了するが、ベッツィから招待されたレセプションが5時半から開催される。そのため、しばらく時間を潰して会場へ。プライベートなレセプションであったが、参加者の大半は障害者支援に携わる方々で、久しぶりに懐かしい人と再会した。V.A.MedicalCenterのMr.D.L.Jaffe。1988年に横浜で開催されたリハビリテーション工学国際セミナーの招聘講師で、セミナー論文集の彼の日本語訳を担当したのが私。9年前、もう少し有ったような髪も...お互いに年季が入ってきたようですね〜。彼はVRに興味が有り、今はVRの応用としてリハビリテーション訓練システムを手掛けているとの事でした。
結構、皆さんお知り合いのようで、なかなかそのような空間に馴染めず、ジャパニーズはジャヤパニーズ同志、溜って日本語で会話をしておりますが、時折様々な人に紹介されたりして名刺交換などを致しました。しかし、良く考えると「名刺」って日本の物でしょう。最近はアメリカ人も持っているのですね〜!頂いた名刺で光っているのはキーノートを行なったMr.Thomas A.Kalilの名刺。金の鷲の紋章と、住所の欄にはThe White Houseとしか記載されていない!
その後、Mr.Michael Bosoldが私の持っていたデジタルビデオに興味を持ったらしく、いろいろと質問をしてくる。初めはデジタルスチールカメラだと思っていたらしく、分解能とか枚数などを聞いてくるのだが、カメラじゃなくてビデオムービーだと説明しても理解してくれない。ビデオテープを取り出したり、実際に写してみて、ようやく解った様子であった。アイダホでビデオスタジオを持っているプロのカメラマン。興味を持つのも当然でした。また、デボラ・カプランさんと記念撮影!
レセプションが終了し帰路に。空いているフリーウェイであっと言う間にパロアルトへ。合田さんを送りホテルへ戻る。今日は早く寝よう。
<いつもの青い空が迎えてくれた朝>
さて、今日もモーニングセッションから会議が始まる。そして、午前のWebAccess'97は2会場に別れた。ブラウザーとスクリーンリーダーなど視覚障害者関連と、全ての障害者を対象としたウェブ・デザイン。私は後者に参加した。カナダ・トロント大学のUniversal Internet Access Project(UIAP)では、視覚障害・聴覚障害・肢体不自由のそれぞれについて、各種ブラウザと入出力システムについて、利用可能なものを調査し、その結果をWebでも提供している。例えば、ke:nxとNetscapeVer.3の組み合わせは動作確認しているなど。昨日同様、ヘビーな昼食を取り、午後の部へ。午後一番のセッションはNeilやらバンダハイデンが出るセッション。そして、次はウェブのガイドラインについてIBMのMr.Phill JenkinsやWGBH(テレビ局などを保有する情報企業)のGeoff Freedのセッション。
そして今日のメインイヴェント!グレート・アメリカへのツアー。グレート・アメリカとはディズニーランドなどと同様のいわゆるテーマパークで、パラマウント系のもの。カンファレンス参加者は入場から各種アトラクション、飲食料金全て無料!つまり、夕食がここで取れて、しかも遊べてしまうという名前のとおり、グレートな企画である。まずは入場するなり、スタートレックのクリンゴン人の強烈な出迎えと、スタンフォード大学の男性合唱団の歌。 地図を貰い、まずは手始めにクラッシュカーレースに。これはスリップしながらぶつかり合う電気自動車。手当たり次第にぶつかり、正面からぶつかると得点。側面や背面からぶつかられると相手の得点というもの。同じ日本人参加者で視覚障害を有する○根さんにも勧めた。どこに向かってもいいし、ぶつかるのが目的だから大丈夫。彼もけっこう楽しんでいたようだ。それからジェットコースター。しかも足の下がないタイプ、つまり宙づり状態のもの。上下左右の旋回が繰り返され、かなりのGが架かり結構へとへとになる。(^^;)
また、フリーフォール(塔の上から、椅子ごと落下するもの)もあり、それがまた高い塔なので景色は抜群!景色に見とれていると、いきなり無重力に近い状態で、座っているときは下がっていた足はいきなり腰の高さまで風圧で持ち上げられ膝が痛い。夕暮れ時の赤い空と遠方に見えた赤く染まった山々がとても美しかったな〜。けっこう寒くなってから食事の列に。ピザとビール。結構待って手にした物も食べる時間は短いものだ。あまりの寒さに待っている間にビールを呑み出す。ビールも冷えており、なかなか体の中から暖まらないよね〜。ピザも結構デカイのを2枚頼んだけれど、7人でペロリ。もっとほしいよ〜!
さて、時間指定のイベントが始まるので、そちらへ移動。デッカイ画面のムビーで雲の間を飛んでいる映像などは自分が空に浮いている様に感じる。1時間程度があっと言う間に終わってしまう。科学教育用のものだが大人も充分楽しめるし、子供に科学への好奇心を持ってもらうためにはベスト!このような企画を小さな子供の時から見せてもらえば、興味関心は高まるに違いない。これがアメリカの教育なのか〜。夜もとっぷり暮れてヘールボップ彗星も明るく輝いている。そろそろ閉館の時間。相変わらず、でっかくて凄い形相のクリンゴン女性が見送ってくれている。子供に何か話しかけているがビビッていて声が出てないよ〜。(グレートアメリカを後にして、第17幕が下りるのであった)
カリフォルニアの青い空(第18幕)
カリフォルニアの青い空を拝めるのもあとわずか。本日も光輝く青い空を見ながら朝食を取る。モーニングセッションは英国で開催中のHYPERTEXT'97という会議とのジョイントとしてオンライン・パネルディスカッションである。会議の内容よりは、どのようなシステムでどのように運用されているのか?という点に興味を持った。ちょうと舞台の袖のところに、学生らしき数人のスタッフが電話片手にワークステーション数台とニラメッコしている。たぶん、英国(Southhumpton)と電話で連絡を取りながらシステムをコントロールしているのであろう。2時間もの間、1度も途切れることなくオンライン・パネルディスカッションは進行していた。
最終日、WebAccessではようやく日本人のスピーカが2名講演する。第16幕に出てきた○林さんと慶応大学の○田さん。二人とも大学院の学生であり、インターネットの障害者アクセスに興味を持っている。将来有望の学生さん達なのであるよ〜。(^o^)
最後の昼食も相変わらずヘビー。しかし、胃にもたれることもなく美味しいものであった。慶応の○田さんは自分の発表が済む今日まで結構緊張しており、この昼食でようやくいつもの○田さんに戻っていた。○林さんは場馴れしているのか?度胸があるのか?飄々としているのはいつもの通り。さて、展示会場では連日JBが展示要員として活躍していた。そして最終日の今日はいつもに増して人が入っていた。障害者の便宜をはかる目的で設置されたアクセスルーム(点字プリンタやヴォイスタイプなどが常設)も撤去が始まっており、今回の功労者Neilにみんなでお別れの挨拶とプレゼントを。 今回、WebAccessという障害者支援のカンファレンスを、WWWカンファレンスというインターネットの国際会議に併設できたのもCSLIのNeilScott氏の功績です。次回のWWWカンファレンスはオーストラリアですが、このような企画はたぶん無理でしょうね〜。
会議最終日で二人のスピーカを讃えるためにみんなで晩餐をすることに。数名の方々とお別れの挨拶を済ませ、いざ!晩餐会場へ車で移動。しかし、運転手のさえら姉は飲めないのだ。今度、埋め合せをしないといけないな〜。と、思いながら会場のエル・カミーノ・リアルに面した韓国料理店へ! 国料理店だけあって、店員のおばさん(アジュマン)は日本語がわかるようである。アメリカで韓国風焼肉もいいね〜。キムチを肴に生ビールを呑み、プルコギを食し、アメリカ最後の夜は更けてゆく。いろいろな話しをして、○田さんは呑みすぎてヘベレケになった。私も良い気分で、帰り際になってようやくアジュマンにカムサハムニダ(Thank's)!と。すると、アジュマンは目を丸くして「あれまあ!」と日本語で驚いていた。英語よりは語彙が少ないけれど、文法が日本語と同じだから、結構挨拶程度はOKなのだ〜。ニンニクの匂いを撒きながらカリフォルニア最後の夜は更けてゆく。
<帰国の朝も、カリフォルニアの青い空は眩しい!>
連日、本当にきれいな青空だった。今日もフリーウェイは快調に流れている。サンフランシスコ・エアポートまで1時間弱。レンタカーを返して、チェックインカウンターへ。なんと、そこで入国手続きまでされてしまうため、パスポートが必要。その後は、免税店を物色しビールを呑んで時間を待つ。搭乗口では相変わらず帰国者の免税品を渡す作業が続いている。私には縁のない世界だよね〜。何せ、奥さんは化粧をしない人だから。私にブランド品を聞いたらインテルとかテキサスインスツルメンツ、ザイログなどを応えてしまうかも知れないね〜。
さて、帰国便は結構乗客があり空いた席がない。中央よりの4座席を中国へ行くという2人連れの米国人おばあちゃんと並ぶ。ヘッドホンの2チャンネルは日本語か?とか、東京に行ったことがある!とか、中国には初めていくの!などと話しもできた。このうちの一人のおばあちゃんはベジタリアンなのか食事制限があるらしく、特別食。隣の芝生は青く見える!の通り、美味しそう。初めの飲物からビールで、食事にはワインを注文する眼鏡の東洋人には呆れていたのかも知れないけれど....
ようやく、成田。おばあちゃん達はこのまま北京へ。ハバ、ナイストリップ!とお別れをして日本の地へ。預けた荷物を確かめて、さえら姉ともお別れ。成田エキスプレスで横浜へ。往路と同じ経路で家路についた。息子がうれしそうにお土産を受け取る光景を思い浮かべながら..
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