伊藤英一(いとうえいいち):年齢不詳、神奈川県某所に15年ほど居住していたが、2002年春より長野県東部で田舎暮しをすることになった(^^;。それまで展開してきた(地道な?)リハ・エンジニアとしての活動は社会福祉専門職(の卵たち)らを支援技術者にも養成してしまおうという形で継続するつもり。 勤務地は長野県上田市にある「長野大学 社会福祉学部」という所。神奈川県総合リハビリテーションセンター在職中、多くの方々に御指導頂き、またコミュニケーションという分野における技術支援活動のあり方について大変多くの利用者の方々からのご意見や、支援を通して得られた発見は大変有意義なものだった。さらに、利用者と支援者という枠を超えて、友人として付き合える人たちができたことはすばらしい事。
今後はリハビリテーション医療の一分野という枠を超えて、生活者としての視点で社会福祉の専門家となる卵たちに「技術支援」や「コミュニケーション援助技術」の哲学を伝えられたらと。。。。1998年4月より1999年3月末まで、休職(無給)して米国・カリフォルニア州スタンフォード大学のCSLI(言語情報研究センター)アルキメデス・プロジェクトに在籍し、家族4人でシリコンバレー暮らしをしていたが、そこで得たものは技術や知識ではなく、やはり「哲学」だった。もう随分と昔の想い出だ...
指名手配(^^;)をされるのであれば「こちら」、もしくは「国際手配用髭有り写真(スタンフォード)」を。
2004年1月14日より、「博士(政策・メディア)」を名乗れるようになりました。
博士論文の審査をして頂きました安村先生(慶應義塾大学環境情報学部)、福田先生(同)、石崎先生(同)、鎌田先生(宇都宮大学工学部)をはじめ、恩師である早稲田大学 故・加藤一郎教授、愛知工業大学 加藤厚生教授など、お世話になりました方々に感謝致します。ありがとうございました。2007年8月より2008年3月までハワイ大学マノア校に在籍し、スタンフォード大学CSLIの時のボス、ニールと再び一緒に仕事をしたけど、今回は単身赴任ということもあり、(車を持たなかったことから)生活上の不自由はたくさんあったけど、半年の楽園生活で少しは体調(肉体的にも精神的にも)も良くなったし、毎日1時間の徒歩通勤は健康的だったなぁ...