カリフォルニアの青い空
(パソコン通信People「福祉工作クラブ」に連載した記事を基にWeb作りました)
カリフォルニアの青い空(第8幕)
Center for Accessible Technology(CforAT)とはNPOの組織で、ATA(Alliance for Technology Access)の41箇所のリソース・センターの1つ。
出発前(本当に直前!)に、三洋電機の柳田さんから紹介してもらったWID(World Institute on Disability)のMs.Betsy Bayhaさんに「障害者のコンピュータ関連技術支援の現状について知りたい。実際に支援活動をしている拠点を推薦してください〜!って電子メール(もちろん、見ず知らずのジャパニーズからの文法を無視した英語らしき言葉によって綴られたもの)を送ったら、「ぜひCforATへ行かれると良いですよ〜。」って奇跡の返事が帰ってきた。そして、再び紹介されたMs.Lisa Wahl(Director)さんへ、身のほど知らずと言われても仕方がないような文章を送ってしまったのです。「私は来週パロアルトへ行きます。そして4/4にCforATを見学したい」そしたら、すぐに返事が帰ってきて「4/4はMr.Paul Hendrixというリハビリテーション・テクノリジストがいる日なので、伝えておきます。彼から返事のメールが来ると良いですね!」
しかし、出国までにメールはこなかった。しかも、バークレーへ出発する前にさえら姉がホテルから電話をしたところ、ポールは出かけている、との事。ダメもとでバス&バートに乗り、6ブロックも歩いて、ちょっと恐い所を通過して、今、まさに港町の倉庫にあるCforATの前にたたずむジャパニーズが二人。(一人は眼鏡を掛けた中国系アメリカ人と間違えられる?...)
所番地はあっている。看板らしき銘板もある。しかし、人の気配がしない倉庫の入口。CforATの入口らしきところに呼び鈴があり、操作をするが鳴る気配もない。ドアに手を掛け.....ギ〜ギギッ(そこで、キャ〜!となるのはおばけ屋敷だが)
そこには何十台ものマックとスイッチ、キーボード、代替入力装置がびっしりと(整然と、ではなく、実にラフに、つまり、使っている〜っていう雰囲気で)、天窓からの光を浴びながら、あたかも使われるのを待っているかのように置かれてあった。
中では男女2人がデスクで作業をしていた。日本から見学に来たと伝えたが、時間がないとのことで、勝手に見せてもらう事になった。入口正面付近には各種のパンフレットや印刷物が置かれ、左手壁側には数台のマックとPC、壁の棚にはアームレストやトラックボール(やはり、ターボマウスなど見覚えのある物が多い)、キネックスやインテリキーズなどのキーボード、ジョイスティック、キーガード、ジェリービーンスイッチ、マニュアル類が載せられている。あ〜、そうだ。ビデオカメラを持っていることに気がつき、男性の職員に声をかける。その時に自己紹介をして、「リサとポールによろしく!」とさえら姉が話したところ...「自分がポールだよ」「あれ〜、メールを送った伊藤だよ〜ん」と、リサからのメールのハードコピーを見せると、親切にもいくつかの質問に応えてくれたし、時間がないというにもかかわらず、しばらくセンター内の説明をしてくれた。
説明してくれた物のいくつかを紹介すると....
ヘッド・トラッカーという赤外線反射マーカー(シール)を、額に張り付けて首を振るとマウスポインタが移動するシステムはマックのシステムとして知っていたのだが、マック専用ではなくPCAT機用のものであった。(どこかの輸入商社で扱わないかな〜?)また、フット・マウスといって、ペダルの上で足関節を前後左右に動かす(傾ける)ことによりマウス・ポインタを移動し、もう一方の足でクリックボタンの操作が可能となるデバイスも製品としてあった。キーボードが左右に分離し、配置や傾斜が換えられるエルゴノミクス・キーボードなども数種類あった。それら、果たしてどの様な障害を持つ人に役立つか解らないような装置もあった。しかし、自分(私自身)が経験したことが無い様々なニーズが頻繁に到来し、それに即座に対応するためには必要なのだろうな〜と思った。
しかし、所狭しと置いてあるマック、もちろんSEやPlusも現役としてLCやパフォーマーと肩を並べているが、それらは全て寄付によるものだそうだそうだ。羨ましい限りである。(自分の職場ではたった1台のキネックス本体を導入するのにも、かなり苦労したな〜....)また、自助具類も豊富に整備され、目的に応じた様々な資料などもまとめてある。ソフトもかなり充実しており、ゲーム類から実用アプリケーションなど多くのニーズに対応できそうだ。このNPOでは子供や大人を問わず、また個人宅や学校、職場への出張サービスを含めて年間2000人へのサービスをしているとの事。機械一式を持っての出前サービスから、センターにおける各種スクール、展示会、月に2〜3回夕方から始まる定期の説明・相談会、教師や指導者・両親などへの指導・講習会、BBSの運営、会報の発行などを実施している。
会報(Real Times #33 April-June 1997)の一部を見てみると...
前身のDisabled Children's Computer Groupができてから13年が経過し、そのお祝いパーティがトップを飾っている。また、各種情報リソース(CD−ROMやURL)の紹介から、変わったものではマックを安く共同購入するシステム、3月から6月までのセンターイベントカレンダ(オープン・リソースと称してセンターを公開し機器に触れたり相談できる日などの掲示)、セミナの案内、サマークラスの紹介、寄付をしてくれた団体・個人の紹介について8ページに渡って掲載されている。消化不良になりそうな程の情報を収集し、「こんなところで実習などがしてみたいな〜。でも、それ以前に英語を何とかしないとな〜」と名残惜しそうにCforATを後にする。
(CforATを後にしたところで、第8幕が終了)
カリフォルニアの青い空(第9幕)
Center for Accessible Technology(CforAT)を後にしてから、昼食を取っていないことに気がつく。しかし、ハードな朝食であった事と時間がすでに3時を回っている事でもあり、1日2食でも良いかと妙に納得。しかし、のどが乾き「ビール」が飲めるような所を探しながらバス停へ向かうが、それらしき所は全く無い。
それほど時間を待たずにバスが来た。「バートの駅に行く?」と運転手に聞き、乗り込む。これから向うサンフランシスコ市街とは逆の方向に進んでいることに一抹の不安が過る。しかし、同乗していたお爺さん(こちらのバスには老人がよく目立つ)にバートへの乗り継ぎについて訊ねるとOKだと言うので一安心。しばらく進み、お爺さんが「ここだよ!」と指さす方向にはバートの高架駅が見えた。お礼もそこそこに後部ドア(降りる人が自分で空ける手動式)から颯爽と降りる。(サンフランシスコのバスにも慣れてきた)
バートの駅では案の定、おツリが出ないし、両替も1ドル札のみ。途方にくれていると駅員さんがバークレーまで使った乗車券(プリペイドガード式)分を、これから向かうサンフランシスコ(シビックセンター)までの運賃から差し引いた金額で特製(手書き)の乗車券を作ってくれた。でも、手書きの紙切れ1枚。自動改札は通れないのよね〜。
ホームに上がる。しばらくするとフレモント行きのバートが入線してきた。まあ、途中のバークレー駅などで乗り換えれば良いので乗車する。電動車いす利用者が居たので同じドアから乗る。介助者や駅員が付いているわけでもなく、段差や隙間の少ない車内へ乗り込んで行く。とっても自然に。その女性は車いす用に座席が無いエリア(ドアの横)に停車させた。いつもそうするかのように。どこで降りるのかな〜。あいかわらず、自転車ごと乗車する若者が多い。3〜4駅ほど進んだところで車内放送。サンフランシスコへの乗り継ぎについてだ。そのホームの反対側にはすでにバートが停車している。行き先を確認してからそちらのバートへ移動する。電動車いすの彼女とお別れ。
しばらく進んだところで地上鉄から地下鉄へ。サンフランシスコ湾の下をトンネルで。結構長い。突然、向い側に進んでいる身なりの素敵な女性が、「このチケット(プリペイドカード)で○○○○?」と何か質問をしているのだが良く解らない。さえら姉が「自分は昨日アメリカに来たばかりで良く解らんのです〜」と、答えると後ろに座っていた東洋系のあんちゃんが「そのチケットでOkよ!」と答えてくれたのでした。ほっと安心(^^;)。このご婦人もサンフランシスコに住んでいるのだがバートは使ったことがない..」との事。とってもシックな衣装にその発言。映画女優か、富豪か、資産家か....どこから来たの?アメリカの印象は?など、いくつかの会話が有り、サンフランシスコ湾を越えたところで下車して行った。
目的のシビックセンターに到着。ここに立ち寄る目的はSF(サンフランシスコ)市立図書館。さえら姉の希望で、新しいこの図書館の電子情報端末システムを見に来たのです。入口には警棒片手のお巡りさん(警備員?)がいるし、図書の持出を管理するゲートがある。でも、ジャパニーズであろうが無かろうが自由に入れる。とりあえずさえら姉がインフォメーションで端末について訊ねると全館に散らばっているが比較的4〜5階に多い、との事。途中、子供向けのエリアなどを見ながら4階へ。エレベータには階を伝える音声と電光表示がある。とても自然に表現されている。日本の音声表示はまだ質が良くない。とても不自然だよね。
端末はとても多い。テキストベースとGUIが半々かな?GUIにはネットサーフィンが可能なものが有り、その端末はいつも人が張り付いている。結局、その端末には触れることはなかった。ネットサーフィン以外のGUIものはCDROMによる検索システム(企業情報、特許など)が多い。テキストベースには一般の文献検索からネットサーフィン(テキストだけ、Lynxかな?)まで可能。もちろん、英語だけどね。アクセシビリティ関連の端末があった。1フロアに1セット程度。画面拡大、音声出力、キーボードアクセスなどが可能。普通の端末と区別無く置かれており、初めに見つけた時は小さな子供がおばあちゃんと遊んでいた。閉館直前、ネットスケープを搭載しているマシンが空いた!と思ったら子供がすかさず椅子を占拠。ネットサーフィンは誰もがやりたいことなんだね。
さて、「閉館○分前!」ってアナウンスに追い立てられながら、図書館を後にする。さて、「酒屋はないか〜」と辺りをキョロキョロ。(アル中ではないぞ〜)今夕はサンフランシスコ在住でアメリカのNPOにも詳しい岡部一明氏のご自宅に伺う事になっている。「インターネット市民革命」「社会が育てる市民運動(社会新報ブックレット)」などの著者。CforATを後にしてからビールを探し続け、しかもテブラで伺うのも何なので酒屋を見つける。改修中らしいが中ではオヤジらしき人物がレジに立っている。中に入りオヤジのお勧めビールを聞くが、さすが商売人!日本やドイツの輸入ビールもあるよ!でも、アメリカのビールが安いよね〜!税金の関係でねって、特に何かを勧めるわけでもない。アメリカでキリンは似合わないので、アメリカのビールを注文。カンを希望するが無いとの事でビンを1箱(6本)購入。
さて、ここからはタクシーだが、タクシーがいないね〜。流しは少ないらしい。大きなホテルの前でタクシーを待っていると、ドアマンらしきお兄さんが「タクシーをまっているのか?」と。そして、ピーッと笛を吹き始めた。何度も何度も。こちらのタクシーは笛で呼ばれるのかしらん?かなり待って、イエローキャブ(タクシー)が1台。ドアマンのお兄さんに岡部さんの名刺を見せて「ここに行きたい!」と伝え、イエローキャブのドライバー(インド系?)と話してもらった。風が吹き荒ぶ夕刻のシビックセンター前から、暖かい?タクシーへ乗り込んだ。ウインドブレーカーだけではとても寒かったよ〜。(イエローキャブに乗り込んだところで第9幕の終了)
カリフォルニアの青い空(第10幕)
イエローキャブに乗り込んだもののインド系運転手氏は無言のまま。まあ、ジャパニーズ2人が外国語(日本語)で寒かっただの、カリフォルニアと言っても南北にも距離があるだの喋っているからね〜。しばらくして、前方にどっちに曲がるのか?止まるのか?不明な車が1台。右折しそうだけれど...結局、直進。すかさずパ〜ッ!と苦笑いしながらクラクション一発。その後、ドライバー氏と日本でも同じ様な車がいるだの、サンフランシスコは坂が多くて大変だとか、話しが進んだ。こちらでの住所は縦と横の通りの名前と番地で大体の検討がつくし、大抵の建物には大きく番地を表示している。近くまで来たところでドライバーも乗客も番地を確かめる。
有った〜!3階建ての集合住宅。坂の多いこの街にしては比較的平坦な所だ。料金とチップを渡し、バイバイ。
岡部氏宅への階段を登り呼び鈴を押す。静かだね〜。と、感心する。しかし、呼び鈴が動作するらしき音もない。人が出てくる気配もなく、周りに電話ボックスや商店もない。困ったな〜。不在かな?と、困惑しながら周辺をウロウロ。しかし、ウロウロしている不審者と間違われズドンッ!と来ても困るので、適当に戻ってくると玄関に岡部さんらしき人影とにこやかに話しかけているさえら姉の姿。軽く挨拶をして、家の中へ案内される。日本人である証拠に、玄関で靴を脱ぐ。もちろん、下駄箱や敷居などは無いが、いくつかの靴が置いてある周辺で靴からスリッパへ履き換えた。
今回の訪米目的や自分の仕事、今日見てきたCforATなどのNPO、SF市立図書館の情報端末の話しから、岡部さんの取材されたNPOやアメリカと日本の比較、子供の教育や保育の事、インターネットの事などをキッチンで話しをした。しばらくして息子さんが帰ってきた。兄弟同志の話し声は聞こえるのだが、英語だ〜!ネイティブに近いぞ〜。(英語音痴の私が言っても説得力はないが...)
岡部さんお手製の夕食(カレー)が準備され、息子さんが呼ばれた。「こんにちは〜!」日本で言えば中学生と小学生。普通の日本語が出てきた。岡部さん(お父さん)とは絶対に日本語で話すことにしているとの事。そのため、日本語での会話に無理はなく、スーパーファミコンのゲームやTVの話しをする。「お客さんは、なんでそんなに詳しいの?」なんて聞かれるような話題もチラホラ。そう、私にも小学生の息子がいてファミコンに捕り付かれているからね〜。(さえら姉にはチンプンカンプンだったに違いないが...)
日本酒まで出てきたよ〜。しかも、カリフォルニアの地酒。ビールは飲むし、日本酒までご馳走になり夜は更けて行きました。そろそろ帰ることを考えなければ...と、いうことになりカルトレイン(サンフランシスコからサンノゼまでを往復している鉄道)の時刻表とにらめっこ。9時丁度発の電車がある。その後は11時!あと30分しかないが....タクシーで駅まで出るのであれば大丈夫らしいが、この辺りでは拾えないということで拾える通りまで案内してもらった。タクシーを拾い、岡部さんとお別れの挨拶をすませ、ドライバーにカルトレインの駅までの所要時間を聞く。15分程度、との事。そして何時の電車なのか?と聞いてくるので9時丁度と答えると...
あっと言う間にスピードアップ。映画にも良く出てくるサンフランシスコの坂道をかなりのスピードで下って行く。ジェットコースタまでは行かなくても、それに近い上下の加速度が。結構スリルがあり、ドライバも「これがサンフランシスコさ!でも、クレージーなやつらも多くて住みにくいところだ!」とも。
カルトレインの駅へ3分前につく。なんとかセーフ!サンキュ!とチップをはずんで?スリル満点のタクシーから降りる。パロアルトまでのチケットを購入。3ドル75セント。ホームには出発間近のダブルデッカー(2階建て)の客車。1階は2人掛の座席(たぶん対面4人掛にもなる)、中央の通路は吹抜けで2階まで見渡せる。2階は窓側に1人掛の座席が並んでいる。もちろん、中央(手摺で仕切られ手荷物が置けるような棚が少しある)の中は1階までの吹抜け。車掌が検札に来ても2階に上がらなくてもすむ構造。吹抜けを利用して声を掛け、検札・券売を行なう。
カルトレインでは基本的には乗車してから車掌に行き先を告げて、切符を購入。大きな駅でも券売はするが改札はない。座席は充分に余裕が有り全員が座れる。そのため、車掌が検札・券売の際に乗客の行き先が記載された券をその座席の1階上部に挟んで行く。客が降車したらその券を外し、再度客が座っていれば検札するという合理的なシステム。
途中、同じ2階席から下車する(東洋系?)青年に「次はどこ?パロアルトじゃないよね?」と聞くと、「パロアルトはまだまだ。時刻表は持ってないのか?」と鞄の中の時刻表をくれた。アメリカ人ってけっこう親切な人が多いのよね〜。約1時間でパロアルトの見慣れた駅へ到着。時刻表もあり、スケジュールも正確なこのカルトレインは「使える公共交通手段」の1つであろう。もちろん、車いすでも「乗車できる」と記載してある。
昨夜、閉店までいたイタリアン・レストランはすでに閉じていた。明日は土曜日。まともな計画のない週末がやってくる。とりあえず、岡部さんに推薦してもらったサンフランシスコ見物だ。明朝もカルトレインで出かけることにして早めに(11時)?休むことにした。
(訪米2日目にして、すでに第10幕終了。ペースをあげるかな?)
カリフォルニアの青い空(第11幕)
訪米第3日目ウィークエンド土曜日カリフォルニアの眩し〜い朝。今朝も爽やかな光がホテルの窓に訪れている。光の差し込む方向にはカリフォルニアの青い空が広がっている。さて、朝食はあまりにヘビーにならないようハンバーガーショップへ。日本のそれとほぼ同じ様な作りで、24時間開いているようだ。まだ、お客も疎らな店内に入る。ホットドッグ系を頼むが、昼のメニューだという。特に表示もないのでムッとしながら、フライ系のハンバーガーとコーヒーのセットを注文する。店内で食べるのか?持出か?という表現、日本では持出を「テイクアウト」などと表現しているが、そんな言葉を使ってはいないのだった。注文の後、番号札のみを渡され、準備ができると番号で呼ばれる。持ってきてはくれない。飲物の大きさはヤヤでかいが、ハンバーガーそのものの大きさはほぼ同じ。
カラッとした空気が心地よい。半袖Tシャツではちょいと寒いが、我慢できないほどではない。しかし、半袖にジーンズの兄ちゃんがいれば、セーターや毛皮のコートを着たご婦人もいる。季節というものが無い(雨期と乾期の2シーズン)ためだろうか?それとも、個人主義の自由の国だからなのだろうか?ゴーイングマイウェイそのものだよね〜。(私自身、ゴーイングマイウェイだね〜と人から良く言われるが...あまり気持ちの良いものではないよね)
軽い朝食の後、これから数日の朝食と飲物、アルコールなどを仕入れにマーケットを探す。1件目はドラッグストアのような所。朝早いのか?人も疎ら。広い店内を文房具やら雑誌、日用品、菓子、玩具関係を中心に視察。子供向け文房具のコーナーには「ニンジャ・タートルズ」が表紙になったノートとか、様々な種類のカードが多く、日用品コーナーにはとても使い切れないようなデッカイ洗剤やドッグフードが山盛りに。しかし、目的の「アルコール」が無く、レジで聞くと「4ビルディングほど先」にあるとの事。そちらへ向かう。入るなり正面に「冷蔵庫」が見え、目的のものがある気配。こちらは先ほどのドラッグストアよりもさらに広い。ワインもビールも・や・す・い・!しかも、カメラまで売ってるぞ〜。
取り敢えず、必要最低限の物を仕入れて、ホテルへ戻る。本日は再びカルトレインでサンフランシスコ市街へ「観光」だよ〜ん。時刻表で時間を確かめた後、カルトレインのパロアルト駅へ。改札などはなく道路からそのままホームへ入る。やや時間があるので、さえら姉は公衆電話からハーツ・レンタカーへ電話。さすが姉様!電話で明日から小型車を1台、帰国日まで予約したぞ〜。私、電話は身振り手振りが利かないので使えないのだ。(英会話の勉強が必要だね〜。本当に実感!)
昨日とは異なる風景(明るいからね)に目をやりながら、観光ガイドを眺める。車内を見渡すと我々同様、観光らしき人達も多い。約1時間、揺られながら昨日貰った時刻表を眺める。休日の終電は何時かな〜?と、確認してサンフランシスコ終点で下車。観光ガイドに載っていた「市内交通パスポート券」を販売してるRVパーク(駅から最も近い)へ住所を頼りに向かう。結局、目測を誤り裏手へ行ってしまい広い敷地を一周回る事になる。そこで1日パスポート券(一日に何回乗っても6$)とサンフランシスコの乗物地図(バスと路面電車、地下鉄の系統図。これがあるとどこへでも行ける!)をゲット。
まずは岡部さんお勧めの「ツインピークス」へ。パスポート券を購入する際、お兄ちゃんに経路を訊ねた。3回ほど乗り換える必要があり、まずバスでマーケット・ストリートへ。お兄ちゃんから教えられた乗り換えるべき経路がない。おや〜?と地図とバス停を見渡した後、そこにいた東洋系のオバ様にさえら姉が英語で訊ねると、「え〜ここではなく、道路の向いにある島から出る電車ですね!」と日本語で帰ってきた。日本人のおば様であった。あはは (^^;)
黄色い路面電車に乗ってカストロステーションへ。そこから再びバスなのだが、これがなかながこない。時刻表などはないし、ただ待つのみ。カップルがイチャイチャしているのを呆れながら横目で見て時間を潰すがバスはこない。買い物袋片手に車道を悠然と駈けて行くローラースケートのお兄さんが通りすぎ、松葉杖のお爺さんがゆっくりと横断歩道を渡り、壁に貼ってあるエイズのポスターを何度も読み返し眠くなった時、バスは来た。何度も曲がり、坂道を登り、ガレージセールをしながらビールを飲んでいるおじさんの脇を通りすぎ、どんどんと高度を上げてきた。どこで降りるのかちょっと不安になった時、最後部に座っていたお爺さんと目が合った。お爺さんは「ツインピークスへ行くのか?」と聞いてくれた。「ツインピークスへ行くのであれば教えてあげるから、心配するな。バスを降りてから左に進む小道がある。それを使えば一番上まで行けるよ」と。しばらくして、「次で降りな!」
バスを降りたものの、ここはドコ?私はダレ?状態であったが、運良く陽気な住人のおじさんがツインピークスへの小道を教えてくれた。道と言っても山に付けられた「踏み跡」のようなもの。階段もなく乾いた砂が良く滑る。途中、舗装された道路を横切り、階段を登り切ったら視界が広がった。先客にはダウンタウンから登って来たという登山姿のおねえちゃん二人と二言三言言葉を交わし、強風のツインピークスからゴールデンゲートブリッジからベイブリッジ、サンフランシスコ港、対岸のバークレーなどを見渡した。名称でも判るように双こぶ山で、やや低いもう一つのピークが南にあるが、そちらには登らずバス停へ向かう。途中、降りる道が解らなくなりウロウロしていたら登り道を教えてくれたおじさんが家から出てきて大声で「そっちじゃない!もっと右だ〜」。そして、おじさんの言う通り、見覚えのある小道を発見し「サンキュ〜!」と大声で。
先ほど降りたったバス停に戻ったが次のバスはいつ来るのやら...(次なる目的地、ゴールデンゲートブリッジを目指して第11幕終了)
カリフォルニアの青い空(第12幕)
しばらく待ってバスは来た。乗ったのは良いけれど、次のバス停が折り返し地点。そこで15分の休憩だって〜。運転手のおっさんは携帯片手に自宅(奥さん?)へ電話。結構大声で、しかも休憩中ほとんど話していた。内容は解らないけれど、家族か彼女への電話らしい。電話が終わったと同時にさえら姉がゴールデンゲートブリッジへの経路について聞く。地図を眺めながらもっと距離の短そうなルートを発見し、再度アドバイスを求めると、「それもいいが、このルートの方が景色が良いのだ」。交通量の多いところまで降りてきて、乗り換えの地点が近付いた。運転手のおっさんが我らを呼び、「前のバスに乗り換えれば良い!」と教えてくれ、今にも発進しそうなこれから乗るべきバスにクラクションを鳴らしてくれた。
乗り換えたバスの運転手はおばさん。このバスで「プレシディオ」(某PCの名前と同じですね〜!)まで行く。先ほどバスの運転手から「景色が良い」と言われたのはこれのことだ!と解った。このプレシディオはほとんど公園。しかも巨木が鬱蒼とし、眩しばかりの光もかなり遮られている。ここで更に乗り換えのため下車。
ここにはかなり大きな民家らしき建物が分散しており、高級住宅地の様相。港も見える高台で気分が良い。しかし、太陽が巨木に遮られているため寒い。ウインドブレーカを羽織ったがかなり寒かった。とても長い時間待ってようやく目的のバスが来た。しかし、ここが始発であるため、待たされたのだが....前のバスと違って車内には入れてくれなかった。寒いよ〜。バスの中は暖房されている訳ではなかったがあったか〜い!(^o^)幸せな気分に浸りながらバスは走り始めた。これからゴールデンゲートブリッジまでプレシディオを横切る。しばらく進み目に飛び込んできた物は「戦車」「大砲」「星条旗」。つまり、ここは軍の施設だったのです。でかい建物に広い敷地の理由が判明したのでした。 「プレシディオ(presidio)=要塞」
さて、バスは海岸(湾岸)を走り、目の前にある「ゴールデンゲートブリッジ」がどんどん近付いてくる。そして、サンフランシスコの観光名所に到着。バスを降りてまずは展望できる所へ。フェンスの至るところに30cm四方の穴が空けられている。しかも、顔の高さ。これはカメラで写真を撮る人達への「粋」な計らいか?ここでも自転車が多い。しかも、自転車専用レーンがある。もちろん、ブリッジにもね。徒歩でブリッジの下を潜り、太平洋側へ出る。ここから泳いでは到底帰れないね〜。
目映いばかりのサンシャイン!遠くを行くヨットが逆光のシルエットで網膜に飛び込んでくる。ヨットも多いが、ウインドサーフィンも数えられないほど走っている。眼下には要塞(跡)がある。砲台や銃口が遠くに見える。再度、ブリッジを潜り、湾側へ。フィッシャーマンズワーフのあるサンフランシスコ港(ピア39)が見える。しかも、その先にはアルカトラズ島! 映画「アルカトラズからの脱出」やカポネなどの有名?な犯罪者が入れられた監獄である。
さて、次なる目的地はフィッシャーマンズワーフ。再度、バスに乗りフリーウェイを走る。なるほど、こちらからの風景は味気ない。プレシディオを経由しなければ、国立公園のような巨木の大群にはお目にかかれなかっただろう。もちろん、途中でバスを乗り換える。すでにパスポートのチケットはもとを取っている。6$で乗り放題というこのパスポートはこういう旅行には打って付けであろう。徐々に街が賑やかになってきたところで下車。目の前には人・人・人。ウインドショッピングをする人。土産を買う人。カニを食べる人。ビールを飲む人。いろいろな店を物色しながら移動する。
すでに夕方。ピア39には多くの人が食事をする場所を探し始める。我々もその一員。オットセイだかアザラシが「オイッ、ウヴェ〜、ガーッ!」などと鳴いている。すごい大群がいる、目の前に。そして、ある店に。魚介類のフライなどのつまみとワイン。そして地ビール。それが今宵の晩餐だ。夕暮れに雲がたなびくゴールデンゲートブリッジを遠くに見ながら、こんなに落ち着いた週末は久しぶりだな〜と感じながら、サンフランシスコの時は刻まれる。カルトレインの時刻表を見ながら店を出る。
サンフランシスコ名物のケーブルカー乗り場へ。大道芸人らしき人物がケーブルカーを待っている我々に「炎」の芸を始めた。結構面白い!それが終了し、到着していたケーブルカーがターンテーブルへ。動力付のターンテーブルをケーブルカーの運転手はあたかも自分が回しているように「芸」を披露。それを真似して乗客の子供も手助けをする。ケーブルカーの運転手は人気者なのだ。そして、出発。かなりの速度。途中、年配のご婦人が乗ってきた。座る所はなく、バーにつかまって立っているので、席を譲ろうとしたのだが拒否された。つまり、ケーブルカーでは立っていることが「ステータス」なのかもしれない。
予定していた時刻のカルトレインには乗れないことが判明し、途中で時間潰しのため書店へ。椅子に座って読んでいる人もいる。おおらかなのか? いや、違う。用足しのためトイレに入ると、そこには警備員が警棒を片手に立っている。万引き防止か?こんな大男が後ろに立っていられては「出るもの」も出ないよ〜。そして、カルトレイン駅を目指してバス停へ。かなり待ってバスへ乗り込む。しばらく行くと見慣れた駅。今日は落ち着いてチケットを購入し、ゲートで待つ。途中、到着した電車に急病人がいたようで、救急車が来て、患者を担架で運び出すのに遭遇したが、大して遅れずサンノゼ行き出発。さて、明日は日曜日。久しぶりに朝寝ができるか?(朝寝を切望しながら、第12幕終了)