週末、信州から神奈川までの往復ドライブ。(休日の高速代が1,000円)
夕方、我が家を出発して上信越道〜(藤岡)〜関越道〜(鶴ヶ島)〜圏央道〜(八王子)〜中央道と経由して相模湖東出口から厚木へ。
関越に入ってから車の量がかなり多くなり、東京方面の渋滞が始まる前に圏央道へ。
中央道に入ると逆方向(上り)がかなりの渋滞。
以前であれば佐久から野辺山を越えて、須玉から中央道へ廻っていたのだけれど、今回は高速代をケチって正解だった。しかし、相模湖東出口からは上りの渋滞から逃げる車(東京方面)が下りてきて結局、国道も渋滞。1時間半以上かかったけれど無事に厚木へ。
土曜夜はかなりの風。日曜の明け方は雷雨となり、雷鳴で目が覚める。
しかし、日曜の8時は陽が射し始め、行楽日和となる。黄砂に霞んだ大山の麓に50名以上が集結した。
息子たちが通っていた共同保育所「ほのぼの園」の同窓会。当時、園生だった児童たちも高校生や大学生に。名札を付けていないと誰だかさっぱり解らない。でも、話をするうちに笑顔が当時の幼いころの笑顔と記憶が重なってくる。
親たちも白髪が増えたり、頭髪が薄くなったり、皺が増えていたりという違いはあるものの、当時と同じように火の番をしたり、ビールをつぎ回ったり、食べ物を運んだり、子ども達の世話をしたりと、当時とあまり変わらない行動だったりする。
すでに孫を抱いている元同僚がいたり、結婚して子どもを抱いて来た元園生も。
共同保育であることから、親は他人の子どもであっても自分の子どもと同じように接していたり、子ども達も年齢の上の子は下の子たちの面倒をみたり、食事の準備をする際にはみんなで協力してゴザを敷き、食卓を運び、皿やコップを並べ、お箸を廻す。普通にそんな共同生活をしていた子らの多くが、医療や福祉の現場で働いている。もちろん、親たちが医療現場の職員が多かった性もあるのだろうが。
幼稚園児が老人施設を訪問したりする試みもある。しかし、一時的な見学や訪問でどこまで「思いやる気持ち」が成熟するのだろうか。高齢者と接することの意味もあるだろうが、年齢が高い子らが低い子らの面倒を見る。もちろん、面倒をみてもらった子らが、年齢が高くなれば面倒を見る立場となる。この「輪廻」が人を思いやるという基本的な姿勢を生みだすのかもしれない。
園の同窓会ではあるのだが、これはある意味で「従兄弟会」であり、集った集団が「大家族」、園が故郷なのだと感じた
次に里帰りするのは何年後なのかな。再び懐かしい笑顔と遭遇したいな。
元園児とその家族たち