息子たちが通っていた共同保育所の園長で、なおかつ前職での同僚が亡くなりました。
数年前より病魔と戦い、最期の3ヶ月は自宅でのターミナルケアを選択し、家族と共に過ごされたとの事でした。延命措置を止め、ターミナルケアを始めた近医の協力を得られたことや、看護師の娘さんが休職を取れたことなど、環境としては恵まれていたと思います。ご家族の努力もあり、最期(7/24)は苦しむ事も無くゆっくりと息を引き取られたとのこと。
今朝、カミさんと一緒に上信越自動車道、関越自動車道、圏央道、中央自動車道を経由して厚木市へ向かいました。途中、本厚木駅で会津若松から出て来た長男と合流し、昼食の後にご自宅へ。
奥様や息子さんや娘さんにご挨拶をしてから、献花をしました。私としてははじめてのキリスト教葬。
本日が通夜、明日が告別式とのことでしたが、今日しか時間の調整ができず、また斎場が横浜の教会ということもあり、通夜の前(出棺の前)にご自宅へ伺うこととなりました。
(一般的にキリスト教では通夜は無い様ですが日本では宗教に関わらず通夜というものがあるようです)
3月に病院へ伺った時には、嬉しそうに長男と話をして、帰る時にわざわざエレベータの所まで見送りくださり「次は保育所の夏祭りで呑みましょう」的な言葉を交わしたのが最後となりました。
棺の中の園長は、今にも起きてきて「今日は暑いね。冷えたビールがあるから呑んでいけば良いから」と声をかけてくれそうな気がしました。
亡くなるにはまだ若すぎると思いますが、人のためになる仕事を多くされてこられた方は「良い顔」でした。
「ご冥福をお祈り致します」
ご愁傷様です..
わたしたちもさ,だんだんとこういうのが増えてくるよね.私は早めがいいなあ.みんなを見送るのは勘弁です.
なんでもいいけど,お互い還る日まで元気でいようね.
た さん>
私たちもすでに半世紀を生きているんだから、自分たちの事として受け入れていかないといけませんね。
「最期」をどのように送るのか。
人それぞれだとは思いますが、家族や友人、教え子たちが泣きながらも笑顔で送ってくれるような人生(の最期)が理想かなぁ。。。
身近な方の死別は、
自分の生き方をも考えさせられます。
パスタヨシ さん>
そうですよね。どのように生きるか?
さすが「道を説く人」!