カリフォルニア便り 第6号
スタンフォード大学CSLI, Visiting Scholar 伊藤英一
年末年始という意識がありません
- ハロウィーン、サンクスギビングからクリスマスまで、アメリカの年中行事やら習慣に触れてきました。12月25日と1月1日は大きなスーパーマーケットも休みなのですが、除夜の鐘もなければ初詣とか初○○という看板も見かけません。日系テレビ番組では、17時間遅れの「紅白」と「ゆく年くる年」をCM付きで放映していましたが、クリスマスを過ぎるとすでに挨拶が"Happy New Year!"に替わります。つまり、クリスマス休暇の延長としての年末年始であって、日本的意識である“けじめ”が見当たりません。
日本的障害者の雇用とアメリカにおける雇用形態の違い
- 今までの流れと大きく内容が異なります。といいますのも、昨年末にある団体が国の委託調査のために日本から視察に見えました。内容は「アメリカの情報産業における障害者雇用」というような事でした。企業以外に、障害者向け情報関連機器の研究施設としてスタンフォード大学でも話しが伺いたいという事で私に話しがあり、この件について事前に少し考えてみました。
- アメリカには障害者だからと言って雇用を見合わせたり、表立って障害者を雇用するというは無いと思います。日本のように障害者雇用率1.6%(?:正しいかどうか自信がありません)というものも無いし、障害者手帳という物すら存在していません。つまり、たまたま企業が求人したら、その企業として必要で優秀な人材が何らかの障害を持っていた。そして、企業が就労環境(テクノロジーなど)を整え、その人材に適していて、企業が要求する仕事が出来、本人も満足しているので離職せず雇用が継続されている。というのが現実なのではないでしょうか?
- アメリカでは日本のように「障害者(身体障害者手帳交付者)を雇用」するという視点は逆差別になります。健常者・障害者を問わず、必要に応じて適材適所の理論で雇用し、不要もしくは役に立たない人材はどんどん解雇されるアメリカにおいて、社会的・文化的背景を知らないまま「障害者雇用」という視点だけで表面的な視察をするのは大変危険なのではないでしょうか。
- 先日、アルキメデス・プロジェクトに世界的にも大きいアメリカの某銀行から視察団がありました。情報アクセスに不利な障害を持つユーザー(預金者など)へのサービスをより良い方向へ改善するため、数名のVice-presidentらがチームを組んでいました。そのVice-presidentの中に聴覚障害者と視覚障害者がいらっしゃいましたが、彼らは障害者である前に某銀行の「Vice-president」なのです。そして、障害者自身である事(経験)を活かせるプロジェクトについているのではないでしょうか。
- つまり、企業が求めている人材を雇用したら、彼らがたまたま障害者で、さらに障害者を含む顧客へのサービスを改善する業務があり、障害者の特性などを一番理解しているのは障害者自身であるというような理由だと思います。日本のように福祉の名の下に、障害者を保護(差別)している雇用形態では、果たしてアメリカの現実は参考になるのでしょうか?
- 新たな日本的障害者雇用を生み出すためには、地道な日本国内における活動に目を向けるべきであり、アメリカのいつ首を切られても不思議ではない(個人主義)雇用社会における、ほんの僅かな薔薇色の部分だけを見ていてはいけません。
- 日本特有の雇用社会において、様々な動きも始まっています。
プロップステーション http://www.prop.or.jp/ (大阪)
WeCAN! http://www.wecan.gol.com/ (東京)
サイバード http://www2.tinet-i.or.jp/cybird/ (仙台)
などがあります。(もっとあるはずですが、今現在調べていません。)
学歴社会のアメリカと学問する意欲
- 学問する意欲のあるアメリカ人(アメリカに住む人)は、社会人になった後でも、リタイヤした後であっても大学に行くようです。本当に勉強したい事があれば、入学や聴講という道があり、もちろん学位を取る事も可能です。社会人になってから大学にUターンして勉強し直す人、新しい技術やキャリアを身につけるために専門外の学部に行く人、少しでも高い職に着くために大学に入る人、等など。日本と違って大学入学はさほど敷居が高い訳ではありませんし、大学も彼らを受け入れるだけの許容力があります。また、大学生のカリキュラムも日本とは異なり、自分の専門等は自分で選択できる大学もあります。例えば、コンピュータサイエンスと音楽という具合に。そして、大学院では電子音楽などを研究して行くこともあるでしょう。大学のカリキュラムは様々なものがあります。大学の違いや特色が鮮明になっています。
- しかし、日本の場合、文部省の「規定・規制・基準?」が大学にもあります。そのため、アメリカのような自由な講義や専門の選択や、自分のしたい学問を自分で組み立てる事ができませんし、現在のような入学試験制度では入学することすら一般人には不可能です。そして、どこの大学も(国立・私立を含めて)あまり大きな違いはないように思えます。違うのは偏差値というオバケなり。
- しかも、アメリカの大学では障害者を差別しませんが、日本の大学では障害者を保護・差別し、学習能力ではなく、まず身体機能面で入学の可否を判断しているように見受けられます。障害を持っていても優秀な人は多いのですが、大学に入れないという大きな問題の結果が、政府の要職や民間の管理職に重度の障害を持った人がほとんど居ない事に現れているのではないでしょうか?
- 日米の差、それぞれ固有の基本的な問題、国民の意識・価値観・生活に目を向けず外見だけの違いや、システムを持ち帰っても果たして役に立つかどうか???
日本から逆黒船のごとく現れる視察団は(この悪い経済状況においても)呆れるほど多いのですが、本当に必要な(有効な)視察がどれほどあるのか....。「百聞は一見にしかず」とはある程度の知識が有っての事。つまり、百聞あっての一見が役に立つものなのでしょう。何も知らず、状況や環境、立場、文化/価値観の違いも解からず、視察に来ては「百害有っても一利無し」。
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January 7th, 1999
伊藤英一 Eiichi ITO [ ito@csli.stanford.edu ]
Visiting Scholar, The Archimedes ProjectCSLI Stanford University