日: 2019年1月5日

2018年11月からの激動の日々

10月初旬、名古屋に地震があった日。母が脳梗塞となり入院。

その後、意識があるような無いような期間が1ヶ月ほど。救急搬送された病院からは療養病床のある病院への転院手続きを催促される。

療養型であれ終の住処にはならない。今後のことも含めて、父とふたりで最期を迎えられるようなケア付き介護施設を探すため11月の連休を利用して車で帰省。

実際に満床ではあったけれど区内の施設を見学。その夜、母の状況が急変。呼吸が荒くなったとのことで家族が病院へ集まることになった。

そのまま危篤になり、深夜に呼吸が停止しました。最後、血圧は測れない状況でもなんとか拍動があり(不整脈)、換気はほとんどできていないが喉は呼吸するがごとく動く程度。
その喉の動きも停止。どの時点で亡くなったのか、という境はわからないものの、医師による死亡診断がなされた。

葬儀屋に連絡をして、父を連れて先に帰宅。深夜4時ごろ寝台車で母が帰宅。一旦、仏間に安置して仮眠をとる。翌朝、葬儀について相談。昼すぎ、葬儀等の準備のため、一旦信州の自宅へ帰る。
翌日、喪服などを持ち、早朝の新幹線(東京経由)で名古屋へ。昼に帰宅。そのまま通夜。
兄弟3人で斎場に泊まる。

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翌日、告別式。荼毘。初七日の法要。

葬儀など一連の儀式は終わったけれど、遺品整理とか父の生活とかも名古屋在住の弟がいてくれることに深く感謝。

なんだかんだと冬支度もできないまま11月下旬。雪がチラチラするため、なんとか時間を作りタイヤ交換。

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いつものようにでかいタイヤを外して。。。

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スタッドレスに交換。もう少し大きなガレージジャッキがあれば。。。

カミさんのハスラー新車はちょうど点検のためタイヤを積むだけ。あとは整備のにいちゃんがしてくれるらしい。

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5ヶ月ほど乗ったハスラーの夏タイヤ。伊那にも名古屋にも遠出した。

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冬タイヤはブリジストンにアルミホイール。冬支度の方が高級だな。

12月初旬。東京にいる孫の諒君が母方の実家へ初帰省とのこと。
これは夫婦で出かけて、奥さんとご両親の久しぶりの水いらずランチに行ってもらうことに。

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母がいなくなると急に不安そうな顔。。。あらら。

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しばらくするとギャン泣き。その後、なんとか抱っこしながら疲れ果てた様で寝た〜
乳児を育てるには若さが必要だわ〜(いまの私たち夫婦には無理!)

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なんだかんだと時間は経つ。年の瀬はいつものようにドアにはリース。
今年は、もちろんしめ縄などはなし。
喪中ハガキを大量に送付。

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年末は例年どおり大人数の大晦日。年越しそばはないけれど、家族が集まり食事をする。
孫の諒君(中央上)はいるけど母は写真(左上)参加。

この時、酒を呑みすぎ、正月はダウンの私でした。
(酒はほどほどにしなさいという母からのメッセージなのかも)

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1月1日の昼。作り笑顔の私は何も手をつけずに、そのままベッドへ。