日: 2007年11月23日

Arizona Memorial

本日(11/22)はThanksgiving Day(感謝祭)。アメリカの祝日であり、アメリカ人の行事のひとつでもあります。マノアも快晴で、静かな朝を迎えました。
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今朝のマノアの快晴の空

このThanksgiving Dayをはさみ、多くのアメリカ人は休暇をとります。日本のゴールデンウィークに似ていて、アメリカ人大移動の週となります。この、多くのアメリカ人が故郷に帰り、各州に散らばっている多くの家族友人が集まり、ターキー(七面鳥)を食べるという行事については、また別の機会に報告をします。

昨日、Pearl Harbor(真珠湾)にあるUSS Arizona Memorial(USSアリゾナ記念館)に行ってきました。
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ゲートにて(写っているのは見知らぬ観光客です)

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ゲート付近からすでに多くの来館者が行列を作っていました。アリゾナ記念館は国立公園と海軍により共同で管理運営され、ThanksgivingDayとChristmas、NewYear’sDay以外の朝7:30から夕方5:00まで開館しており、来館は無料です。

USS Arizona(戦艦アリゾナ)は1941年12月7日(第二次世界大戦開戦の日)に停泊中の真珠湾にて日本軍の攻撃を受け海底に沈没しました。そして、1962年に記念館として、沈没した戦艦アリゾナの上を左右からまたぐようなデッキが作られ、沈没した戦艦を見ることができます。

来館者はまず無料のチケット(整理券?)を受け取り、順番を待ちます。私たちは午前10時前には到着したのですが、見学ツアーは12:05開始!ということで、2時間以上見学センターや周辺で時間を潰す事となりました。

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見学センターのMuseumには戦艦アリゾナの模型や爆撃を受ける前の真珠湾の様子やその後の様子、戦死した人たちのことや日本軍のことについて展示がなされていました。日本海軍の山本五十六の写真もありました。

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見学センターだけでは時間が潰せないため、となりのBowfin潜水艦(写真後方)を見学したり、ミサイルや潜望鏡などが展示してある施設にも行ってみました。そこには日本海軍の有人魚雷「かいてん」が展示してありました。
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これが「かいてん」。横には内部が見えるように窓が開けられ、操縦部分が見えます。ずいぶんと昔の話ですが、高校生の時に参加したボーイスカウトのオーストラリアジャンボリーにおいて、首都キャンベラの戦争記念館にて同じものが展示してあることを思い出しました。
特攻隊もそうですが、一度出撃したら生きては戻れないというものです。このようなものを二度と作ってはいけません。

さて、なんとか時間を潰して、われわれのツアーが開始されます。まずはどのようにして第二次世界大戦が始まったのかというビデオが23分。アメリカ側の映像だけではなく、日本側の映像もあります。それを見終わると、外に出て、海上にある記念館までの船の乗船します。
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海軍風(?)の制服を来た船員さんが操縦していました。

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アリゾナ記念館の近くには戦艦ミズーリ(1945年9月2日、東京湾における日本の無条件降伏文書調印式が行われた有名な戦艦)が見えます。こちらは別のツアーがありますが、本日はさらに混んでいるもようであり見学を諦めました。

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真っ白な記念館に接岸。

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デッキから戦艦アリゾナの砲台(第3砲台)の基礎が海上に出ているのが見えます。

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デッキ中央部には下部が覗けるようになっており、沈んでいる戦艦がすぐそばに見えます。

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頭上には星条旗。

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奥には戦死者の名簿。

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乗り込めそうなほど近い位置に艦内へ下りる通路。

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覗き込める距離ではないので、手を伸ばしてカメラで撮影すると。。。

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説明では未だに艦内のタンクから重油が漏れているということです。ただし、60年以上も僅かずつ(生態系に影響がない程度?)漏れるのか、回収しなくていいのか?という疑問もありますが。。。

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時間が来たので、再び船で記念館を後にします。

小さな子どもたちも多く見学に来ていました。「卑怯な日本人による不意打ちのような真珠湾攻撃により沈没した戦艦アリゾナ」というナレーションを聴いて、彼らはどう感じるのでしょうか。

また、多くの日本人観光客はワイキキビーチでショッピングをするのでしょうけど、アリゾナにはどれほどの見学者があるのでしょうか。

アリゾナ記念館はアメリカ側から見た第二次世界大戦(太平洋戦争の展開)であり、広島・長崎の原爆は日本側から見た第二次世界大戦(太平洋戦争の終末)なのです。どちらも(説明不足はあるにせよ)歴史的事実であり、お互いがお互いを知る為には、とても大切なところだと思います。それぞれの国の閣僚、官僚らは公式ではなく非公式に(一般にまぎれて)見学することが良いのではないでしょうか。彼らのビデオを見る眼、我々(日本人)を見る眼、子どもらがナレーションをくちづさむこと、雰囲気などを少しでも感じることが必要なのではないかと思います。

帰国後、可能であれば再び広島(あるいは長崎)を訪れたいと思いました。