カテゴリー: 旅行・地域

4泊5日韓国弾丸の旅(2日目)

10/02は某大学にて式典出席の後、大学キャンパス内にある各種施設を見学。

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大学内にある老人施設の一室はオンドルの三人部屋でした。

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床の生活ですから引き出しなどは低め。しかし、どうやって車いすに座るんだろうか...

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もちろんベッドの部屋もありますが、床はオンドル。

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トイレには手すりが付いているけれども...便座は通常のもの。

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最上階の施設には空中庭園が広がっています。

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リハビリテーション施設が併設。PTさんが居ました。

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午後、ちょっと観光(?)。韓国のお寺は色彩が豊か。

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10/02の夕食もやはり海鮮系。

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辛いものばかりの食事ですからアサリの薄味スープが美味しい...

2日目のマサンの夜もさらに更けゆく...

4泊5日韓国弾丸の旅(1日目)

10月1日から5日までの4泊5日、仕事で韓国へ行ってきました。
単なる往復ではなく南の釜山から北のソウルまでKTX(韓国新幹線)で北上するという韓半島(朝鮮半島)縦断ツアーとなりました。

まあ、仕事の話は置いておいて...釜山など南の港町は海の幸の宝庫です。食べ物はこんな感じ。

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10/01 成田発釜山行大韓航空の機内食(エコノミークラス)はウナギライス(うな丼ではない!)でした。

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その日の夜はもちろん海鮮系。

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呑み物は「マッコリ」=韓国のドブロクです。最近は日本でも売っています。

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カニもあれば刺身もある。マッコリとジンロ(焼酎)で!

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天ぷらもちょっと日本のものとは違う味付です

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しめのご飯は海鮮系石焼ビビンパ

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店はこんなんです

マサン(馬山)の夜は更けゆく...

三たび、本州の臍(へそ)へ

今年も自治体実習として「本州のへそ」がある小川村へ。9/15-17までの3日間。

今回で小川村も3回目。ただし、実習初日が卒業式(9月卒業)と重なったため午前中は大学へ。(3名の卒業生が出席し、それぞれに学長から卒業証書・学位記が授与されました。私の氏名も記載されています!)

午後から小川村へ。あいにくの天気でしたが、それぞれの施設へご挨拶をしながら学生の状況を見学。

作業所では「熊さん」の作成が進行中。

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作業所の机

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籠の中はカラフルな端切れ

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作成途中のパーツ

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色合いを見計らいながら...同じものはありません

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完成品は少しずつ増えていきます

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ちょっとゴージャスなタイプもありました

最終日はなんとか晴れ間が見えました。

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村営の望遠鏡。なかなか見る機会はありませんが...

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名産品でもある「おやき(野沢菜)」を頂きました。

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ようやく信州にも「秋」が感じられるようになりました。

村を幾つも越えて大町へ

土曜は勤務、日曜は新潟往復と忙しい薪です。

さて、週末しっかり仕事だったにも関わらず、月曜の本日は同僚のご尊父様の葬儀により大町へ向かいました。

職場に立ち寄り、香典などを受け取り、いつもの愛車で出掛けました。いくつもの峠を越えていくにしては喪服は窮屈です。

まあ、ドライブマップで経路を見ると。。。これで良いやと安易に決定。

職場 〜 上信越道 〜 長野道 〜 麻績IC(ここから一般道) 〜 もちろん麻績村 〜 筑北村 〜 (差切峡) 〜 生坂村 〜 旧八坂村(大町市八坂) 〜 信濃大町駅 〜 某所

という経路です。
まあ、県道ですからかなり細い道もありますが、対向車もあまり無く快適なヘヤピンカーブの連続でした(^^;

途中、河童がでそうな淵があり、記念撮影。

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河童や〜い!

休日のドライブ

週末、信州から神奈川までの往復ドライブ。(休日の高速代が1,000円)

夕方、我が家を出発して上信越道〜(藤岡)〜関越道〜(鶴ヶ島)〜圏央道〜(八王子)〜中央道と経由して相模湖東出口から厚木へ。

関越に入ってから車の量がかなり多くなり、東京方面の渋滞が始まる前に圏央道へ。
中央道に入ると逆方向(上り)がかなりの渋滞。
以前であれば佐久から野辺山を越えて、須玉から中央道へ廻っていたのだけれど、今回は高速代をケチって正解だった。しかし、相模湖東出口からは上りの渋滞から逃げる車(東京方面)が下りてきて結局、国道も渋滞。1時間半以上かかったけれど無事に厚木へ。

土曜夜はかなりの風。日曜の明け方は雷雨となり、雷鳴で目が覚める。

しかし、日曜の8時は陽が射し始め、行楽日和となる。黄砂に霞んだ大山の麓に50名以上が集結した。

息子たちが通っていた共同保育所「ほのぼの園」の同窓会。当時、園生だった児童たちも高校生や大学生に。名札を付けていないと誰だかさっぱり解らない。でも、話をするうちに笑顔が当時の幼いころの笑顔と記憶が重なってくる。

親たちも白髪が増えたり、頭髪が薄くなったり、皺が増えていたりという違いはあるものの、当時と同じように火の番をしたり、ビールをつぎ回ったり、食べ物を運んだり、子ども達の世話をしたりと、当時とあまり変わらない行動だったりする。

すでに孫を抱いている元同僚がいたり、結婚して子どもを抱いて来た元園生も。

共同保育であることから、親は他人の子どもであっても自分の子どもと同じように接していたり、子ども達も年齢の上の子は下の子たちの面倒をみたり、食事の準備をする際にはみんなで協力してゴザを敷き、食卓を運び、皿やコップを並べ、お箸を廻す。普通にそんな共同生活をしていた子らの多くが、医療や福祉の現場で働いている。もちろん、親たちが医療現場の職員が多かった性もあるのだろうが。

幼稚園児が老人施設を訪問したりする試みもある。しかし、一時的な見学や訪問でどこまで「思いやる気持ち」が成熟するのだろうか。高齢者と接することの意味もあるだろうが、年齢が高い子らが低い子らの面倒を見る。もちろん、面倒をみてもらった子らが、年齢が高くなれば面倒を見る立場となる。この「輪廻」が人を思いやるという基本的な姿勢を生みだすのかもしれない。

園の同窓会ではあるのだが、これはある意味で「従兄弟会」であり、集った集団が「大家族」、園が故郷なのだと感じた

次に里帰りするのは何年後なのかな。再び懐かしい笑顔と遭遇したいな。

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元園児とその家族たち