投稿者: firewood

スローライフに憧れる準スローライフ実践者

定年前ですが退職しました

いろいろと考えるところがあり、今の仕事に満足しているし、魅力もやりがいもあるんだけれど、職場としての環境がかなり悪く、負担もかなりあることから定年前ですが退職することになりました。

秋あたりから真剣に考えはじめ、年末には上司に口頭で伝え、年始には退職願を提出し、3月末には退職辞令を頂きました。

18年間、いい思い出が詰まった職場を後にしました。いろいろと後ろ髪を引かれる思いもありますが、今のコロナウィルスへの対応などを考えると(あのまま続けていたら過労死するだろう)タイムリーな退職だと思います。

今後はこんなウェブを書いて、それなりに地域活動や社会貢献に努めていきたいと考えています。

情報バリアフリー・ラボ

 

2019年のハロウィーン〜

昨年のハロウィーンは、久しぶりにかぼちゃを購入した。

そして、今年の春、その時に取ったカボチャの種を庭に植えたら目が出た。

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あまり良い種には見えなかったけど芽が出て実がついた。

 

11月になると色が変わってきた。ハロウィーンらしい。

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11月は母の一周忌などもあり、なかなか落ち着いてジャックオランタンがつくれなかった。

ハロウィーン直前の深夜に(笑)彫った!

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そして、玄関へ〜

 

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なんとかハロウィーンに間に合った〜(笑)

 

2019年1月は50年ぶりの家族旅行

1月4日から5日。
父と私たち兄弟の4人で愛知県の三河湾にある日間賀島への旅。

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実家からレンタカー(レクサス!笑)を借りて師崎へ。そこから高速船で10分程度。

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日間賀島は蛸と河豚で有名(らしい)。

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マンホールの蓋(たこ)

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マンホールの蓋(フグ)

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母の高校時代の友人がやっていた旅館。
50年前に両親と兄弟の5名で来た時は港に近い別の場所にあった。もっと普通の民宿のような建物だったけど、丘の上に移り、建て替えたみたい。
つまり50年ぶりの家族旅行は4人。母も写真で参加。

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南国的。ハワイと言われればその気になるかも。。。笑

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天気はまずまず。旅館についてしばらく島内を散策。(父は旅館でお休み)

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翌日は朝、高速船で師崎まで戻り、車で北上。
焼き物で有名な常滑の焼き物工房へ。父と3兄弟の力作〜

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工房の周辺はこんな風景。
昔、母の郷があった高浜も焼き物工場が多く、レンガの煙突がいくつもあり、周囲は独特の匂いが充満していたけど。いまはそんな匂いはない。
あれは有毒ガスだったのかなぁ。。。笑

年始の家族旅行は無事に終了。天気もまずまずだったし、三男が企画したツアーも良かったし、なにわともあれ父が喜んでくれたのが最高。

我が家の薪ストーブefelはベルギー製。しかし、この製造元は廃業してしまったらしい。
すでに20年が経過したストーブもいくつか不具合が。
数年前からストーブ内側にある「バックプロテクター」に亀裂が入っていたけれど、今季は完全に欠けてしまった。ストーブ屋さんに聞いたところ、まだ補修材料があるということでこのバックプロテクター1枚を交換することに。自分でもできるよ、ということで材料だけを調達した。

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向かって右側のバックプロテクターは無残にもしっかりと欠けている。

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バックプロテクターを外してみる。

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左右のバックプロテクター。
向かって左は古いもの(まだ亀裂だけ)。

右が今回新たに交換したもの。新品は黒い〜

ついでに。
夏以降、入退院を繰り返していた母から「昔は無線、やっていたね」という話を聞き、昔の段ボールをひっくり返してみるとQSLカードの山。海外とも交信したんだった。
その後、母の入院見舞いや葬儀などでの移動途中、上級ライセンスの勉強をした。
12月の国家試験を受験し、なんとか2級に合格。年末ぎりぎりに免許証が届く。

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免許証が手に入ったから、今度は開局申請(免許状)だな。
さて、申請の前にリグ(送受信機)やらアンテナを手に入れないと。。。

2018年11月からの激動の日々

10月初旬、名古屋に地震があった日。母が脳梗塞となり入院。

その後、意識があるような無いような期間が1ヶ月ほど。救急搬送された病院からは療養病床のある病院への転院手続きを催促される。

療養型であれ終の住処にはならない。今後のことも含めて、父とふたりで最期を迎えられるようなケア付き介護施設を探すため11月の連休を利用して車で帰省。

実際に満床ではあったけれど区内の施設を見学。その夜、母の状況が急変。呼吸が荒くなったとのことで家族が病院へ集まることになった。

そのまま危篤になり、深夜に呼吸が停止しました。最後、血圧は測れない状況でもなんとか拍動があり(不整脈)、換気はほとんどできていないが喉は呼吸するがごとく動く程度。
その喉の動きも停止。どの時点で亡くなったのか、という境はわからないものの、医師による死亡診断がなされた。

葬儀屋に連絡をして、父を連れて先に帰宅。深夜4時ごろ寝台車で母が帰宅。一旦、仏間に安置して仮眠をとる。翌朝、葬儀について相談。昼すぎ、葬儀等の準備のため、一旦信州の自宅へ帰る。
翌日、喪服などを持ち、早朝の新幹線(東京経由)で名古屋へ。昼に帰宅。そのまま通夜。
兄弟3人で斎場に泊まる。

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翌日、告別式。荼毘。初七日の法要。

葬儀など一連の儀式は終わったけれど、遺品整理とか父の生活とかも名古屋在住の弟がいてくれることに深く感謝。

なんだかんだと冬支度もできないまま11月下旬。雪がチラチラするため、なんとか時間を作りタイヤ交換。

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いつものようにでかいタイヤを外して。。。

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スタッドレスに交換。もう少し大きなガレージジャッキがあれば。。。

カミさんのハスラー新車はちょうど点検のためタイヤを積むだけ。あとは整備のにいちゃんがしてくれるらしい。

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5ヶ月ほど乗ったハスラーの夏タイヤ。伊那にも名古屋にも遠出した。

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冬タイヤはブリジストンにアルミホイール。冬支度の方が高級だな。

12月初旬。東京にいる孫の諒君が母方の実家へ初帰省とのこと。
これは夫婦で出かけて、奥さんとご両親の久しぶりの水いらずランチに行ってもらうことに。

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母がいなくなると急に不安そうな顔。。。あらら。

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しばらくするとギャン泣き。その後、なんとか抱っこしながら疲れ果てた様で寝た〜
乳児を育てるには若さが必要だわ〜(いまの私たち夫婦には無理!)

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なんだかんだと時間は経つ。年の瀬はいつものようにドアにはリース。
今年は、もちろんしめ縄などはなし。
喪中ハガキを大量に送付。

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年末は例年どおり大人数の大晦日。年越しそばはないけれど、家族が集まり食事をする。
孫の諒君(中央上)はいるけど母は写真(左上)参加。

この時、酒を呑みすぎ、正月はダウンの私でした。
(酒はほどほどにしなさいという母からのメッセージなのかも)

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1月1日の昼。作り笑顔の私は何も手をつけずに、そのままベッドへ。