本日2/8はUniversity of Hawaii, College of Engineering主催のHigh School Engineering Day という催し物があった。対象は高校生。ハワイ州各地から選りすぐりの高校生たちがそれぞれの高校を代表して(?)大学に集まった。
日本でいう高校対抗ロボットコンテストのようなノリでもあり、オープンキャンパスのような企画もあり、高校生達が工学技術に興味関心をもつようなイベントのひとつ。
その中でCollege of Education, CRDG の我がLerning Technologyも関わっているシャボン玉マシーンのコンテストがあった。
ハワイ各地の高校生に、事前に「一定時間内に、多くの、あるいは大きなシャボン玉を作る機械を作る」という課題を出してあり、本日それらを持ち寄り、展示をして、実際に1分間でどれだけ、あるいはどれほどのシャボン玉を作れるのかというのを計測して競うのである。
もちろん、携帯するために電池を使い、モーターを回して、ファンから風を送り、シャボン液(これもいろいろと試行錯誤をしながら研究)をなんらかの仕組みで風の前に送り出し、シャボン玉を発生させるというもの。
どれひとつと同じ機構はなく、それぞれさまざまな思考を経て、工夫をし、工作をして、実験し、調整を繰り返し、コンテストに臨んでいる。高校生達は皆楽しそうであり、また溌剌としており、見学者の質問にも丁寧に答えていた。
また、単なる機械を作るだけではなく、シャボン液の工夫もしている。シャボン液は表面張力をどれほどに調整するかによって様々な状態が作れる。重合とかポリマーとか、いろいろと物理学やら化学などにも関連している。そのため、難しいことを勉強してポスターにして来て発表している生徒もいた。
参加生徒は正確に数えてはいないが女子の方が多いように感じた。
これは大きさに注目した作品
これはさまざまな大きさのシャボンを連続して発生する作品
これはコンパクトに出来て、確実にシャボン玉を作る作品
これはいろいろと調べてポスターがしっかりしている作品
水槽に砂を入れて高さを調整している作品
実際のコンテストでは一定時間ビデオカメラで撮影して計数する。沢山出るように横から息で飛ばしている生徒。これは違反ではないんだけど、過呼吸になりそう。
発想の豊かさといい、いきいきとした笑顔といい、創意工夫ができるハワイの高校生を見ていると、受験勉強に明け暮れる日本の高校生とは次元が違うように感じるのは私だけだろうか。。。
このような教育現場を見ていると、日本で叫ばれている「理系離れ」というのはアメリカにはなさそうである。まだまだ、ノーベル賞はアメリカの独壇場なのかもしれないなぁ。。。
かの極東の国はさ,面白いとか楽しいというのは不真面目
ととらえる文化が根強くあるような気がするよね.
さらに言うと,リカは一般社会からは差別対象とまでは言わない
けど,ちょっと別世界のひと扱いでしょ.
ゆとり教育なんてその象徴的なしくみで,科学を理解できない
おやじたちが,自分らもわからんようなものを子供達に
教え込むのはかわいそうみたいなわけのわからん親切心が
背景にあると信じている.
でんじろう先生というひとがいろいろ面白い科学実験をやって
くれて,少しはいい感じもするけど,でもそれも「テレビ」に
よって,毛色の違うマジックショーの一種にされてしまってる
ようにも思えるのは,見る側の心がひねくれているからかな.
でも一方で,科教協なんかに所属する「やる気のある」先生
たちが半ばボランティアでいろんな科学教育活動をしていて
微力ではあるけど成果をあげつつあるみたい.
わたしも老い先短いので(笑),自分の専門分野に関して
子供も含めて若い人たちへの広報&教育活動に注力して
いきたいとおもっているのね.
最近いろいろ作ったりしているのも,それ用の教材とかなんだ.
た さん>
>最近いろいろ作ったりしているのも,
>それ用の教材とかなんだ.
そうだったんだぁ。
理科とか科学って論理的な理解力が必要であって、暗記とか応用ではないんだよね。自分なんかもそうだったけど、義務教育とか高校での成績ってあんまり良くなかったけど、数学とか理科(物理)だけは頑張った(頑張れた?)ような気がする。夏休みの昆虫採集なんかも面白かったなぁ。問題を解いたり、なんらかの発見とか確認とかできると楽しかったよね。
理科も義務教育が大切なんだけど義務教育課程の先生って教育学部出身が大半。教育学部って基本は文系だよね。高校物理とか中学理科ってあるけどさ。理系大学の教職課程を履修して卒業しても採用試験を通過しないと教職には就けない。採用試験って教育委員会がやる。組織の大多数は地元の教育大学とか教育学部の出身者。学閥ってかなりあるから理系大学卒ってかなりハードルが高いと思う。
また、どんなに優秀なカリキュラムにしても、先生(や、その卵)を教育しないとほんとに「楽しく学ぶ」って先生が楽しかった思い出とかないと無理だよね。私なんかは(高等教育ではあるけれど)臨床現場で長く働いてきたから、現場の話をすると学生たちは目の色が変わる。(変わらんのも居るけど。。。)
義務教育でも中途採用などが増えてきたけど、「た」さんのような人も採用できるような仕組み(科学技術関係の人が夜間教職課程みたいな講習だけで教職免許状がもらえるとか)ができると面白いんじゃないかと思うな。
しかし、文科省の役人も文部大臣もほとんど文系だ!有馬先生以外に理系の人が文部大臣になったことってあるの???
いきなり質問! (すみません、こんな書き方で。)
物理の表面張力とか数式を使って、勉強するのは、何年生くらいですか? 一般課程か、専門課程か、院か?
大学で、物理やらなかったから、未だに、煮えきれない思いがあります。力学など、モーメントの直前で、切れていて、・・・。電気のインピーダンスだけは、カレッジの電子工学のクラスで、かなりやりましたが。
今頃になって、Wikipediaで、勉強しています。
いさむ@UK さん>
極東の彼の国(この週末は3連休らしい)は、数年で教育カリキュラムが変わるので、現在何年生なのかはわかりませんが、三十数年前のことであれば高校化学の後半(理系クラス)だったような。。。
いわゆる分子間力、クーロン力、ファンデルワールス力という力だけを計算するのがあったような。。。私の記憶では物理ではなく化学のような。。。あるいは大学の教養科目の化学だったかも。。。すみません、記憶が曖昧です。
表面張力(表面張力というものの学習は中学1年?だったかな。息子の夏休みの課題を手伝ったことがある)を計算するのはこれらの力の応用なので高校でも教養課程でもないように思います。また、分子の結合力というのは運動のエネルギーも関わり、温度に依存するためかなり難しいと思いますね。接着剤の研究者はこれらの専門家なのかと思いますね。接着材って個体でも液体でもない物らしい。。。
「た」さんと学生をしていた電子工学科ってほとんど数学だったような気がする。インピーダンスもそうだけど交流(正弦波)なんてのは複素数だし、得意だった自動制御(過渡応答)なんてのは微分方程式とかラプラス変換だし。。。
しかし、あきれるほど名称だけは覚えているけど、つかわないし、たぶん解けないな。。。[E:bearing]
いろいろ、ありがとうございます。
かの国では、高校の時は、「大学に行けば、好きなだけできるから。」と言われ、とても楽しみにしておりましたが、入学した学部が、商学部であり、著しく精神的エネルギーを消耗した記憶があります。
接着剤が個体でも液体でもないことは、初耳でした。ちょっと調べてみようと思います。
米国では、高校生でも、成績次第で、カレッジのクラス、取れるからね。非常に穿った見方ですが、「コミュミティ・カレッジ」=「進学のための予備校」ということも、言えなくもありません。
今日(2/10)は曇りですが雨もなく穏やかな週末を過ごしています。まあ、半分は仕事をしていますけどね。。。
アメリカでは高校生でもカレッジのクラスが取れたり、飛び級があったりしますよね。基本的な枠組みが日本のような規制ではなく、倫理とか哲学、合理性に根拠があるようにも感じます。
大学はその大学に適した学生を入学させたいと考える。日本の大学では学力入試というのを課している。アメリカの大学は入ってから見合わない学生は落とされる。
でも、すでに学力入試が崩壊している大多数の日本の私立大学では学生の選別はできないから、入学後に高校の補講(読み書きそろばん)をしているところもあるようです。
日本的には、入学させたのだから卒業させないといけない、という理屈のようですが、でもそれは入試で選別できた時代の話。前提が無くなっても制度はかわらない。
内部にいる者としてもなんとなく釈然としないけど。。。
理科離れはどこも同じみたいですよ。CNNでも問題として取り上げていました。どこぞの会社でも、中学生くらいを相手に、理科の楽しさ伝えるセミナーを、あっちこっちで開いています。
それにしても、小学校、中学校に、理科系の先生が少なかったのは、今思うととてもつまらなかったなぁ。不公平だよなぁ。
てん さん>
アメリカの場合は終身雇用ではないので、中途採用や解雇などが多いから、それなりに(学校や教育委員会が必要とすれば)短期的に教員の質や授業内容の活性化ができるんだ(日本との大きな違い)。
まあ、最近は世界的な傾向として、物を作ったりせず、買ってくることが多いし、自然に親しむ環境も少なくなったので、工学とか科学ってのが遠い存在になっているのがいけないのかもね。身近な存在であることが大切なんだと思う。